徳山競艇場(山口県)
1953(昭28)年〜

第二次大戦で、徳山もB-29による爆撃を受け焼け野原となった
戦後すぐに徳山駅前は整備され西日本有数の計画都市として生まれ変わり
一大工業地域として発展し始めた


1951(昭26)年:
モーターボート競走法が公布、施行され
競走場も長崎県の
大村競艇場を皮切りに、周辺地域でも戦後の復興目的で次々と開設し始めた


工業地域とは離れた漁村
太華山という山麓の笠戸湾の入り江にある、小さな漁港の端を区切った場所で

1953(昭28)年:
徳山市主催にて徳山競艇場が初開催された




<昭和55年度・徳山市・光市主催・連勝式勝舟投票券>


右手に山、遠くに瀬戸内海を望み
景観は良好
水面は沖合からやって来るうねりと風
山と海のはざまにあるため
突然風が強くなったり雨が通りすぎたりして
気候の不安定な競艇場


そこを舞台にて、日々熱戦が展開されている



山口県周南市栗屋